徳川家康などについて勉強した

勉強をしました。徳川家康は朱子学者の林羅山を江戸に招き、林羅山の子孫は代々儒者として幕府につかえて、幕府の学問を担いました。建築では、幕府が権現造を用いた華麗な日光東照宮をつくりました。一方、京都では桂離宮がつくられ書院造に草庵風の茶室をとり入れた数寄屋造が用いられました。絵画では、狩野派から出た狩野探幽が幕府の御用絵師となり、活動の場を江戸に移して画壇の中心となりました。京都の上層の町衆であった俵屋宗達は、独特のやわらかみのある装飾画をうみ出しました。俵屋宗達と縁戚関係のある多才な文化人本阿弥光悦もすぐれた書画・蒔絵・陶芸などの作品を残しました。陶芸では朝鮮侵略の際、諸大名がつれ帰った朝鮮人陶工によって、九州・中国地方の各地に朝鮮系の製陶がおこされました。寛永期には、有田焼の酒井田柿右衛門が今までになかった赤を主としてさまざまな色彩でえがく赤絵の技法を完成させました。文芸では、御伽草子のあとを受けた仮名草子が教訓・道徳を主とした通俗的作品をうみ出しました。また連歌の第一句を独立させた俳諧もさかんになって、あらたに民衆文化の基盤をつくりました。和人とよばれる本州人が、蝦夷が島とよばれた北海道の南部へ進出しはじめたのは、13世紀ころでした。

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