バッハなどについて勉強した

バッハのうまれたアイゼナハには、ルターが聖書のドイツ語訳をおこなったワルトブルク城があります。自身もルター派の教会と深いかかわりをもち、その作品には「マタイ受難曲」などドイツ語のテキストによる宗教作品が多いそうです。最後は、ルターが教皇派の論客エックと論争した地として知られるライプチヒにある聖トーマス教会の合唱指揮者となり、1750年にその生涯をおえました。コショウ・ナツメグ・クローヴなどの香辛料は、ムスリム商人を介してアジアからヨーロッパにもたらされました。これらは高額で取引され単なる調味料としてではなく、豊かさの象徴としても扱われたため、ヨーロッパの商人は香辛料の直接取引をのぞむようになりました。一方、オスマン帝国の攻勢でヨーロッパ世界が再びイスラーム勢力の脅威に直面すると、東方にあると伝えられたキリスト教国と結んでイスラーム勢力を打倒しようと考える人びともあらわれました。これらの状況を背景として15世紀ころから新航路の開拓がはじまり、レコンキスタをつうじて国民的統合の進んでいたポルトガルとスペインの両王国が、いち早くそれにのりだしました。このうちポルトガルは、15世紀前半よりアフリカ西海岸を本格的に調査し、1498年にはバスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸南端の喜望峰を経由してインドに到達する航路の開拓に成功しました。

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